ノーナレ「裸に泣く」を観て
10/2放送のノーナレ「裸に泣く」を観ました。
NHKでストリップ 、それを観て刺激を受ける女性たちのことを描くとはって感じ。
女性がステージの上に立ち、裸になり、踊る。
ストリップ とはただそれだけのことです。
でもそれだけでは済まされない。
だってそのステージの上に立っている女性たちはその人の思想や強さ、人生を全部舞台に投影しているから。
ストリップ を鑑賞している女性たちは踊り子さんへ自己投影だったり、コンプレックスの昇華だったり、性差別のない世界への憧れだったりを抱いている。なんともややこしい。
私はストリップ劇場 に通い始めてもうすぐ一年になる。
ずっと大好きな踊り子さんがいる。
その人が舞台に立ち続けているうちはずっと応援していたいとも思う。
番組では踊り子さんと女性ファンとの関係も描いていた。
踊り子さんはステージで踊っているときは皆んなとても気高くてどこか触れてはいけないものとしてみてしまう。圧倒的距離感があるのだ。
でもひとたび、舞台が終わり写真撮影の時になると少女めいた笑顔と砕けた喋り方をしてくれる。それが本来の姿だとは思ってない。
でも、その一瞬の交流と、限られた時間の中でびっしりと書いてくれた写真裏の言葉はファンにとってなによりもかけがえのないものだ。
踊り子さんからもらった言葉やステージで「明日も生きよう」と救われたことは何度もある。
そんな些細な交流をこの番組は描いてくれた。
最後にファンからもらった手紙を楽屋裏で読む踊り子さんにズームをあてて終わるところに、何となく番組の真意が見えた気がする。
私たちの踊り子さんへの「好き」は申し訳ないけど拗れている。
彼女たちに性への欲があるわけではないし、もしかしたら面白半分、ストリップ が好きな「私」という承認欲求の為の「好き」なのかもしれない。
そんな私たちの「好き」は十人十色だし、一言で言えるものでもない。
それを踊り子さんたちは受け入れてくれたような気がした。踊り子さんの感情なんて普段知る由もないから。
最後の手紙の部分、そこをフューチャーしてくれてありがとうございます。
踊り子さんのファンとしての自分への気持ちが昇華されたような気がします。
色々書いたけど、この番組を観てストリップ を見ている自分の気持ちを改めて知ることができた。
私が踊り子さんに抱く気持ちは、幼い頃に憧れた美少女戦士への気持ちと同じものなのだと。
いつかの美少女戦士は変身する時に裸になっていた。
幼い私はそれをいやらしいと思ったことは一度もない。
ただ綺麗だと思っていた。漠然と。
もう、私は美少女戦士に憧れる年でもないしなれないことは百も承知だ。
それでも一番最初に憧れた者の敬意はずっと根付いてる。
それを思い起こさせてくれたのがストリップ なのだ。
だから、私にとって踊り子さんはみんな美少女戦士です。
気高くて強くて、裸であっても臆することなく舞台に立つ。
美少女になれたら、私だって美少女戦士になりたかった。恋もしたいし、可愛い洋服も着たいし、沢山の人に愛されたい。
でも何よりも女を傷つける男に負けないくらいの強い女の子になりたかった。
そんな拗れた憧れを持ちながらこれからもストリップ 劇場に行くんだろうな。